No.372

2020年コロナ禍時代の生きづらさを生きる
(Re-paradigm shift)、
ニルヴァーナへの到達。
(命の危険と存在の不安)

text : mama(美学者母)
2020年4月27日(月曜日
)執筆

 

 

さて美学者母です!!!
現在2020年4月27日の朝方でございますwww
完全に世の中とは時間が逆になってしまい、
昼間は基本的に寝ていますwww
ある意味この深夜の静けさが心地よく、
社会との距離というものを非常に感じ、
深夜型生活の方が、
ある種客観的に社会を観る事ができるのも事実です。

まぁ現在は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で、
世の中が騒がしいので尚更です。

僕は30歳に初めて「覚り」を体験しました。
そして先日2回目の深淵な「覚り」を体験しました。
自己も含めて社会などが混乱している時の方が、
覚りの境地を体験しやすいのかもしれません。

私は仏門に入ったわけでもないのですが、
様々な領域の研究を通して、
仏教というものが現在において、
非常に有用なものであることを実感しています。

ですのでどこかの教団に入っているわけではなく、
仏教というものを重要にしている一人の日本人です。

そもそも家系的には、
浄土真宗本願寺派・西本願寺だと思われます。
しかし私は家系的なものは一切考慮していません。
その上で私が影響を受けた仏教の考えは、
当然仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の、
考えであり。
それにもっとも忠実的であろうと捉えているのが、
大乗仏教であり、
龍樹(ナーガールジュナ)の中論をベースにした考えです。
私はその中でも最近は、
日本伝統仏教13宗の中でも、
禅宗である曹洞宗や臨済宗に影響を受けている。

 

私はそもそも芸術を専門としているので、
学びとしては西洋学問的価値観をベースに、
その様な学ぶ事を行なっているわけです。

それは日本の学校教育がそもそも、
西洋的価値観に基づいて、
日本に根付かせた。
その西洋の芸術という価値観を学ぶには、
当然その様な西洋学問的価値観を前提として、
その学びにアプローチするわけです。

しかし日本における学校システムといいますか、
学問体系といいますか、
もう色々と無理な時代になっているのですね。

それはあからさまに、
明治以降日本の学校は、
いかにいい軍人を作るのか、とか。
いかにいい官僚を作るのか、とか。
戦後は、
いかにいいサラリーマンを作るのか、とか。
ある種明治期の産業革命を彷彿とされる様な、
いかに均一で同一で従順な日本人を、
一律に大量生産するのかという。

一つの理想的で虚像的な典型的日本人を、
金太郎飴の様に社会へ供給するシステムこそが、
西洋学問的価値観を輸入し、
その上で日本で現在も続く学校システムなのです。

しかしこの様な西洋学問的価値観をベースにした、
学校システムでは、
現代社会で機能する人間が産み出せなくなっている。
その様な事実が現実としてあります 。

つまりこれは根本原理として、
西洋の一神教的価値観をベースにした、
「一つの答え」という導き、
言い方を変えれば「完全」を求める思考、
それがもはや機能しない時代になっているのです。

私はその様な考えの上で、
西洋の芸術や美術、
哲学や美学を学び、
やはり同じ様に西洋の学問、
思想、哲学、美学、思考、視座。
その様なものの行き詰まりを、
まさに体験するわけです。

しかしそこは、
私はそもそも西洋人ではありません、
日本人です。
だからこそ仏教という、
思考や視座に可能性を観ることができ、
私は「覚り」の体験を通して、
仏教的視座の現代における機能性を、
強く実感しています。

それは正に、
日本を代表する哲学者である。
京都大学名誉教授。
京都学派の創始者、
西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」、
という考え方に自然に引き寄せられるのかもしれない。

これらを誤解を招く事を前提に、
世俗的に簡便に要約すると。
西洋的価値観を「完全」を前提にしているならば、
私たち日本的価値観は「不完全」を前提にする。

つまり私たち日本人が持つ、
正に現在の現実にある。
ある種の「生きづらさ」。

2020年コロナ禍時代の生きづらさを生きるには、
明治以降から続く西洋学問的価値観である。
「完全」を捨て去り、
もともと私たち日本人が持つ価値観。
「不完全」を「引き受ける」という生き方。

そしてそれを原理にした、
視座や思考を持つという事、
そしてそれを実践するという事、
その様な、

 

「Re-paradigm shift」

 

が急務であると実感しています。

では具体的に私たちは、
どの様に「不完全」を生きていけばいいのか。

それは今回のコロナパニックでも理解できる様に、
人間が全てをコントロールできるのだという、
その様な人間の傲慢な考えを捨て去る事です。

人間の分際を知る事です。

私たちはコロナウィルスをコントロールできません。
だから「完全」にコロナウィルスを無くそうとか、
「完全」なコロナウィルス対策をしようとか、
この様な「完全」を求める思考や視座こそ、
「虚構」である事を理解する事です。

これは正に「西洋学問的価値観」の「完全」です。

私たち人間は「不完全」であり「愚か」であるのです。

その「不完全」であり「愚か」である事を、
まずは「自己」として「引き受け」なければなりません。

それこそが「仏教」における「自灯明」を、
拠り所とするという実践です。

この世界に「完全」なものは何一つありません。
無いものを有るというのが「西洋学問的価値観」なのです。
それは正に「虚構」なのです。

この事を私の言説で表現すれば。
「西洋学問的価値観」というものは、
時間軸に対して正対し、
時間という概念の元、
後から先へと人間は進歩し進化する。

つまり人間は、
過去より現在、
現在より未来の方が有能である。

しかし人間の真理は、
時間軸に対して横を向いているのです。
それは人間の存在とは刹那的世界のみに存在し、
時間軸は並列にこの刹那に同時に存在している。

これはある種、
私たちの「認識」と「真理」の不完全性です。

2020年コロナ禍の本質は正にこの事にあります。
世界がグローバリズムという価値観の元、
一様に同じ「完全」の虚構の元、
「不安」を共有し「パニック」を起こしています。

これは正に「グローバリズム時代」を原理に持つ、
世界同時的な「存在の不安」という現象です。

私たち人間も「生物」ですから、
そもそも「命の危険」というものから、
「命」を守ろうとしていた時代がありました。

しかし私たちは「人間」です。
もはや「命の危険」によって、
「命」を無くすよりも、
「存在の不安」によって、
「存在」を無くす方が、
上回る時代に生きているのです。

この「世界」や「社会」、
「会社」や「家族」「友達」、
「組織」や「恋人」、
その中での「存在の不安」によって、
「存在」を無くすよりも先に、
自らの「命」を無くしてしまうのです。

皆様にはこの現実が理解できるでしょうか。

 

この様な「存在の不安」を無くすには、
まず「人間」の、
つまり「自己」の「不完全」を引き受ける事です。

「自己」の「不完全」を引き受けるとは、
まず「生きている」という認識を改める事です。
それは「生かされている」とも違います。

むしろ強制的に「命」を「課されている」、
その様に認識するべきです。

私たちは誰に頼まれて、
この世に生まれてきたのでしょう、
誰が私の名前をつけたのでしょう、
誰が私という人格を作ったのでしょう、
誰が私という性格を作ったのでしょう。

少なくとも私は、
私が望んで「存在」しているわけではありません。

つまりその様な現実的に「不完全」な「自己」、
それを「引き受ける」。
それが「存在の不安」を無くします。
そしてその様な、
「不完全」な「自己」の「存在」は、
つまり「自己」だけでは「存在」し得ないのです。

それは「自己」は「他己」との関係にのみ、
「存在」し得るのです。
これは「存在」の「真理」であり、
つまり「存在」とは「関係」であり、
それを仏教では「縁起」と言います。

つまり「自己」という「存在」の「真理」とは、
「私」とは、
それは「自己」と「他己」における「機能」なのです。

これはすなわち、
西田哲学的にいうと、
「自己」と「他己」の、
「絶対矛盾的自己同一」の上で、
「私」という「自己」と「認識」しているものは。

「機能」であるのです。

 

(最後にまとめ)
「自己」も「他己」も含めて「私」である。
その様な事が今回の言説で理解でき、
それはある種仏教的な「慈悲」につながる、
視座や思考であると理解できます。
現在の混迷の世の中で、
私の言説が皆様の「法灯明」となれば幸いです。

 

 

 

美学者母

 

 

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