No.352

死をできるだけ遠ざけたものが日常である
(一般人と芸術家どちらが現実を生きているのか?)

text : mama(美学者母)
2019年11月19日(
火曜日)執筆

 

どもっ美学者母です!!!
僕もこうして日々生きているわけですがwww
僕の生の営みが一般的であるかというと、
僕自身も自分で一般的だとは思わないわけです。

しかし普段あまり一般人とコミュニケーションしないと、
自分の生の営みが普通だと思ってしまうわけです、
そんな時に、
一般人の方々とコミュニケーションすると、
まぁ色々と驚きや新しい発見があります。

時に自分の生き方というものを客観的に観る、
そういった事もとても大切なものだと考えています。

 

そこで今回は改めて、
一般人と美学者母の生の営みというものを、
俯瞰して考えてみようと思うのです。

例えば「日常」という言葉をキーワードに、
考えてみても、
一般人と美学者母との生の営みの違いというものが、
はっきりと分かれてくることが理解できます。

 

では「日常」とはなんでしょうか?
私美学者母にとって「日常」は存在するのでしょうか?
まず「日常」という定義や意味から、
その様なことを考えていきたいと思います。

私が考える「日常」とは、
「死をできるだけ遠ざけたもの」が、
「日常」であると考えています。
それはどういうことかと言うと、
例えば「1分後は絶対にくる」、
「10分後は絶対に訪れる」、
「1時間後は確実に存在する」、
「明日は必ずやってくる」、
「1年後はきっと生きている」、
「10年後は年をとっている」、
この様な時間軸がサスティナブルに連続する、
その様な前提で、
「生を営む」ことが「日常」なのだと考えているわけです。

では美学者母に「日常」は存在するのかというと、
それは存在しないわけです。

私は常に「死」を体感し、
「死」を意識し、
「死」を考えています。
さらに言えば常に「死」を恐れています。

例えばそれを逆説的で簡単にいうと、
「刹那に生きる」という事になります。
それを具体的にいうと、
「死」を体感する、
または「死」を常に意識するということは、
この刹那の「生」を大切に生きるという事です。

「生」というものが「連続」して、
続いていくのだという前提には立たず、
常に「死を前提に生きる」という事です。

この様な単純な「生の営み」に対する、
「前提条件」の違いというものが、
人間の質に絶対的な違いを生じさせます。

それが冒頭にも述べた、
一般人とのコミュニケーションで、
現れてくるし、
驚きや新しい発見があるわけです。

私が「日常」というものを感じる時、
それが一般人とコミュニケーションした時に、
感じる感覚であるわけです。

それがある種「コミュニケーションの不協和」を起こし、
私にとっては非常に不快であり、
また非常にストレスになるわけですが、
私も社会の中に存在しているわけなので、
その様なネガティブなものとも、
真摯に向き合って、
しっかりと受け止めていかなければならない、
そう考えているわけです。

僕の様な「生き方」をしていると、
僕の「生き方が変わっている」とか、
「地に足ついていない」とか、
「現実を生きていない」とか多々言われるわけですwww

しかしそれは本当でしょうか?

本当の意味で「現実」を生きていないのは、
どちらなのでしょうか?
「現実」は人間皆んないつ死ぬかなんてわからない、
「現実」として1分後に死んでいる事だってある、
むしろ僕から言わせれば、
1年後に生きていることが自明であるかの様に、
1年後の事を話している人の方が、
とても現実を生きているとは思えないのです。

つまりこの様な現象から何が理解できるか、
というと、
一般的に「現実を生きている」と言われている人は、
本質的に「現実を生きていない」わけで、
逆に一般的に「現実を生きていない」と言われている人は、
本質的に「現実を生きている」わけです。

この様に一般性と本質性が二律背反するというのが、
「世界の真理」なわけなのですが、
この様に改めて俯瞰してみると面白いものです。

また私は思ったことや考えたことは、
「すぐに言います」
「すぐに行動します」
正しいものは正しい、
嫌いなものは嫌い、
間違っているものは間違っている。
今言わずしていつ言うのか?
今やらずしていつやるのか?
その様な私の考え方の前提も、
前述した様な前提条件からくるものです。

非常に単純な前提条件の設定の違いで、
大きな人生の違いを生み出します。

その点は「日常」を生きる方々も、
一度俯瞰して考えてみると、
自分自身の「生き方」が、
違って見えてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

美学者母

 

 

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