No.341

あいちトリエンナーレ2019の失敗にみる、
情の時代の終焉。
(津田大介、東浩紀の友情が
日本的な感情を最も神秘とする悪習の
最たる例である)

text : mama(美学者母)
2019年8月19日(月曜日
)執筆

 

まず以前に私が書いた、
あいちトリエンナーレ2019の記事を、
ご一読ください。

 

「いつもアートは感じるものだって言ってる人の、
あいちトリエンナーレ2019での矛盾」

 

https://www.machromatic.net/column_0340.html

 

 

続いて、
「あいちトリエンナーレ2019」のコンセプトを、
ご一読ください。

 

https://aichitriennale.jp/about/concept.html

 

 

とここで理解が早い方なら、
お気づきになるかと思いますが、
私が書いている文章は、
あいちトリエンナーレ2019のコンセプトとは、
真逆の事を言っているわけです。

まずこの様な私の考え方、
それを前提条件に、
色々と話を進めていきたいわけです。

 

今回の「あいちトリエンナーレ2019」のコンセプト、
それはまさに「情」なわけです。

その上で、
まず先に私が表明しておきたいのは、
私は、
「情」というものを「信じていません」。

「情」というものは、
「人間」の「合理的判断」を狂わせます。

つまり「人間の世界」において、
「信用」できないものである、
そう考えているわけです。

しかし「信用」できないからといって、
それがいらないものだと言っているわけでは、
ありません。

なぜなら、
私たち人間そのものが、
「情」によって生きていると、
「実感」する生き物だからです。

さらに「情」は、
「人間」のみならず、
「動物」全般の「生きる実感」の原理、
であるはずです。

むしろその様な、
「動物全般」に備わる「情」から、
「人間らしさ」を獲得しているものは、
私は「理性」だと考えているわけです。

つまり私は、
情を超えた理性にこそ、
「人間」としての「機能」があると、
考えているわけです。

 

その様な考察を踏まえて、
あいちトリエンナーレ2019での、
コンセプトである「情」。

それに重ねて、
津田大介と東浩紀との「友情」。

日本のアートへの神秘性の、
在りどころである「感情」。

それらすべてが、 日本の「情」を神秘化する、
表層に観えたわけです。

 

私はこの様な、
日本の「情」に神秘性をみる価値観が、
昔から嫌いですし、
あまりにも前時代的すぎると考えています。

なぜならば、
ある意味一昔前のインターネットがない、
その様な時代では、
ある種、
「情」という「機能」が、
非常に「合理的」であったのは、
間違いないのです。

しかし現在の様に、
インターネットが発展すると、
「情」というものが、
「非合理的」になっているのです。

 

具体例を挙げればキリがないのですが、
例えばよく言われる、
「村社会」というのも、
「情」のよるものでしょう。

私などは大阪の片田舎の岸和田、
そんな典型的な田舎の村社会に生まれ、
あらゆるものが、
地元の人の繋がりで成り立っているわけです。

ビジネスでも文化でも、
娯楽でも、
なんでも身内を優先させ、
利権を守り
、 自分たちの食い扶持を確保します。

それはその時代においては、
「非常に合理的」であったわけです。

 

しかし私の様に、
「村社会」が嫌いな人間でも、
「嫌なものは嫌」
「悪いものは悪い」
と正直に発言しても、
生きていけるわけですし、
むしろ現在では、
「村社会」の呪縛から抜け出し、
自分の自由に生きた方が、
「合理的」なのです。

 

「情」というのは、
ある種「束縛」を生み、
「合理的判断」を奪います。

人間は出来るだけ、
「情」というものから、
距離をとって生きた方が、
「合理的」なのです。

 

ここであいちトリエンナーレ2019の、
話に戻りますが、
今回のコンセプトの、
「情の時代」というのは、
現代において非常に遅れたコンセプトである、
と同時に前時代的であり、
左翼的な津田大介という芸術監督を考えれば、
まぁ納得のコンセプトではある。

そしてあいちトリエンナーレ2019の、
アドバイザー東浩紀、
津田大介の友人で、
友達人選であり、
まさに「友情」という、
非常にコンセプトに合致した人選であった。

しかしこれこそが「村社会」であり、
典型的な前時代的人選である。

さらに、
アート=感情 というまさに日本の前時代的な、
アートの解釈により、
この地域芸術祭、
「あいちトリエンナーレ2019」は、
見事に崩壊した。

 

ではアートとは感情ではなければ、
理性なのか、
知性なのか、
それは私が尊敬するヴィトゲンシュタイン、
そのニュアンスを借りれば、
考え得ることを全て考え尽くし、
それでもなお考え得ぬものが神秘である、
であるならば、
その領域こそがアートの神秘である。

 

最後に、
津田大介はあいちトリエンナーレ2019の、
コンセプトでこの様に記述している。

「われわれは、
情によって情を飼いならす(tameする)
技(ars)を身につけなければならない。」

 

 

私がいうならこうだ、
「われわれは、
(知によって情を飼いならし)その上で、
神秘を体験せねばならない。」

 

 

 

 

美学者母

 

 

 

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