No.332

愚行権の話
(人間は法を守るべきか、それとも法を侵すべきか)

text : mama(美学者母)
2019年7月10日(水曜日
)執筆

 

最近インターネットで炎上するネタ、
と言いますと人間の愚行が、
映像として流されて、
それを袋叩きにする、
そういった事が多く観られます。

そんな中インターネットの世界では、
「道徳自警団」の呼び名のように、
必要以上に小さな愚行に対して、
多くの人間によって袋叩きにする、
その様な現象が現れてきています。

この様に、
現代は愚行というものを、
許さない世界、社会になってきているのです。

 

そして今回この様な事をなぜ書こうか、
そう考えたキッカケになったのが、
あるバイク店YouTuberの、
80年代90年代バイクブームの批判動画でした。

最近私は普通二輪免許をとりまして、
もうすぐ大型二輪免許を取りに行く予定、
さらに250ccのバイクも購入しまして、
もうすぐ納車の予定です。

そんな状況ですので、
バイクのYouTubeをかなり観ていて、
その80年代90年代バイクブームの、
批判的な動画を見た訳です。

この頃は峠のコーナーを、
膝をすって攻めるという、
他人に迷惑をかけ、
大変危険な愚行が流行していました。

確かに誰がみても、
危ない愚行であるのは間違いないし、
社会的に言えば、 やってはいけない、
または法律を違反している行為なのです。

しかし日本の現状をみても理解できますが、
日本人の頭の中は思い込みが進みすぎ、
言い換えると「洗脳」されすぎている。

 

例えば私たち市民が持っている憲法、
それを元に作られる法律、
そう言った私たちがより豊かに生きる、
また社会を成立させるためのものが、
ある種「神格化」されている。

憲法も法律も、
所詮私たち人間が作ったものです。

そして人間が作ったものに、
「完璧」なものはありません。

さらに「憲法」だから、
「法律」だから、 絶対に善であるとは言えません。

 

例えば独裁国家の独裁者が作った、
憲法や法律が、
独裁者の為に作られたものだったら、
それは市民にとって善であると言えるでしょうか?
そして日本の様な国でも、
憲法や法律は時代と相対的であり、
時代とともにその合理性は無くなる事が、
多々あります。

ですから憲法や法律は常に更新されていくべきなのです。

そして憲法や法律というのは、
ある一定の基準を示しているだけであり、
グレーの部分が全てに存在します。

つまり私たちは、
憲法や法律を臨機応変に使う、
それが民主主義における市民なはずです。

今の日本は、
ある意味独裁国家です。
憲法という神格化された、
憲法独裁国家、法律独裁国家なのです。

例えば、
もしあなたの命が奪われそうな時、
助かるには法律を憲法を逸脱しなければなりません、
そんな時私なら、
当たり前に法律や憲法を違反して、
自分の命を守るでしょう。

しかし今の日本人のほとんどは、
法律や憲法を守って「死んで」しまうのです。

皆さんはそんな事無いよ、
というかもしれませんが、
実際に社会ではこれと似た様な事が起こっています。

 

それが過労死です。

僕の記憶に残っているのは、
東大卒で電通に入社して過労死した女性、
ある種彼女には、
法律や憲法を違反して、
自分の命を守るという選択ができなかった。
むしろ法律や憲法でも無い、
「社会の目」からすら、
彼女は逸脱できず、
死を選んだ訳です。

 

結論、
「私から言えば法律や憲法なんか侵せ」です。

 

それも社会や世界にバレない様にwww
正々堂々犯罪をするのは本当の馬鹿ですからね。

人間の本質というのはとても面白いもので、
社会というものを作り、
ルールを守るという本能と。
それを逸脱して新しい社会を創造する、
ルールを破るという本能が、
同時に二つ存在している訳です。

この様な二律背反の存在こそ、
「人間らしい」のです。

なぜならそれこそが、
「人間のリビドー」だからです。

ですから、
先に記述したバイクのYouTuberや、
インターネットの道徳自警団などは、
本当の意味で、
「自分自身」と向かい合えていないのです。

そもそも「人間」とは「愚行」をする存在です。

だからこそ、
人間の根本的権利として「愚行権」があるのです。

あなた自身が「愚行」を認められない行為こそが、
本当の意味で一番の「愚行」なのだと考えています。

 

 

 

美学者母

 

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