No.292

チームラボ、真鍋大度、落合陽一
に通ずるテクノロジーのアートの履き違い。
(テクノロジーの価値は
スケールする事でしか証明できない)

text : mama(美学者母)
2018年12月12日(水曜日
)執筆

 

えっと生きていて、
社会や世の中を見渡すと、
モンモンして言いたいことが、
山ほどあるわけですがwww

私は芸術が専門なので、
できるだけ芸術という領域を、
優先的に書いていこうとは思っています。

 

えっとそんな中でですね、
やはり最近すごく感じている事は、
世間的に「アート」が「エンターテイメント化」、
しすぎでおかしくなっているなと、
凄く感じているわけです。

もちろん「純粋芸術」が、
多くの人々に「その体験」を与える事は、
とても素晴らしい事だと思うのですが、
まるで「純粋芸術」であるかのような、
宣伝やプロモーションをおこなって、
一般の人が、
ただの「エンターテイメント」を、
これが「純粋芸術」だと、
「誤認」する事は、
「社会的利益」を「損なう」と考えています。

その上で、
色々なものをクリアにして、
「定義」を明確にしておきたいと思い、
今回この様な事を書かせていただきます。

 

「アート」=「芸術」
「テクノロジー」=「科学技術」

 

まずアートは芸術で、
テクノロジーは科学技術です。

そして「テクノロジー+アート」、
という考え方が、
世界中の最先端の科学者や研究者では、
当たり前のものとなってきています。

私は「テクノロジー+アート」の時代を、
スタートさせたのは、
アップルのスティーブジョブズだと考えています。

その様な事は過去の私の言説にも、
書かせていただいています。

しかしもっと原理的な所で考察すれば、
「MITメディアラボ」の「ニコラス・ネグロポンテ」など、
もっと早い時期から、
「テクノロジー+アート」という、
考え方を持っていた人はいます。

しかし私は、
「テクノロジー」は「スケール」するから、
テクノロジーなのだと考えていますので、
「テクノロジー+アート」の定義上、
スティーブジョブズ以降が、
「テクノロジー+アート」の時代と定義しています。

そして現代では、
「テクノロジー」という言葉の中に、
「アート」が既に含まれているのです。

それはそもそも「テクノロジー」が、
「スペック」から「エクスペリエンス」に移行した、
それが、
「テクノロジー」から「テクノロジー+アート」、
に移行した原理でもあるのです。

そしてテクノロジーは、
「ポーション」から「アーキテクチャ」へと、
完全に変化しているわけです。

実際に現在の最先端科学技術企業は、
アップル、アマゾン、グーグルなど、
いわゆるプラットフォーム企業と呼ばれ、
私たちにアーキテクチャを提供しています。

ですので、
現代は「ポーション」としての、
「テクノロジー」は終わった、
それは所謂「スペック」重視の「テクノロジー」、
現代は「アーキテクチャ」としての、
「テクノロジー」が始まり、
それは所謂「エクスペリエンス」重視の「テクノロジー」、
であり、
「エクスペリエンス」の「原理」は、
「芸術体験」であるので、
現在のテクノロジーにおいて、
「芸術性」というものは、
切っても切れないものなのです。

まずこの様な、
世界的な「テクノロジー」の動向というものを、
しっかりと理解しておく必要があります。

 

そして現代日本人が、
この事を大きく勘違いしている現実が、
浮き彫りになってきます。
その表層として、
日本においての、
「メディアアート」と呼ばれるものです。

日本では、
最先端の科学技術を用いた芸術???
として昨今もてはやされています。

有名な方を紹介しますと、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一、、、
皆様も一度は聞いたことがある名前だと思います。

この人達の基本的な共通点は、
「理系」の人たちです、
いわゆる「科学者」や「研究者」として、
普通は紹介される人たちなのですが、
「メディアアート」なるものを展開しているので、
「アーティスト」的な認知をされ、
一般的には、
「最先端の芸術」と思われている節があります。

 

しかし私は芸術が専門ですが、
芸術というものは、
そのマテリアルや方法、
技術というものが、
問題ではなく、
それは一つのエレメントでしかないので、
「最先端の科学」を使っているから、
「最先端の芸術」だと考えるのは、
完全な間違いなのです。

つまり、
「最先端の科学」を使っても、
「古典的な芸術」であることは、
当たり前にあるのであって、
「芸術構造」というものは、
「最先端の科学」だから、
「構造の強度」が増す事はないのです。

現在の「メディアアート」は、
最先端科学技術を使って、
一般の人々に目新しさの興奮を与え、
「脳に快楽」を与えるだけの、
「エンターテイメント」に過ぎないのです。

 

その上で私は、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
アーティストだと思わないが、
スティーブジョブズは、
アーティストだと考えるのです。

なぜなら、
「テクノロジー+アート」という、
「アーキテクチャ」を創発した、
そしてそれを「スケール」し、
実際に今私の生活に不可欠な機能を持ち、
実際にそれを私は「体験」しているからです。

 

そもそもこの人達、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
スタート地点を間違っているのです。

 

例えば私は芸術活動しているので、
その世界で歴史に残りたいと考えます。

それを相対的に充てがう人物は、
マルセルデュシャンやピカソです。

では、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
マルセルデュシャンやピカソを目指すのでしょうか?
それは違います。

チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
むしろ、
スティーブジョブズやビルゲイツを、
目指すことが自然だと私は考えるのです。

なぜならば、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
テクノロジーのコンテクストを持っているからです。

そしてそもそも芸術の構造を理解していません。

 

だからこそ、
現実にエンターテイメントを世の中にばら撒いて、
しかもそれをアートとして偽装しているのです。

 

私は今回の考察で非常に面白いことに気づきました、
それは、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
「理系の落ちこぼれの目立ちたがり屋」だという事www

芸術の世界というのは、
色々な世界の落ちこぼれが集う場所ですが、
チームラボ、真鍋大度、落合陽一は、
「理系の落ちこぼれの目立ちたがり屋」なんだなって。

 

このことを私は何を観て感じたのかというと、
ノーベル賞の医学・生理学賞を受賞した、
本庶佑京都大特別教授の、
ノーベル賞の授賞式のニュースです。

むしろ、
本庶佑京都大特別教授の方が、
アーティストと呼べるし、
その科学技術オプジーボは、
スケールもしてるし、
実際に私が病気をすれば、
実際に私はそれを「体験」するわけです。

 

本当に日本ってダメな国だなぁと、
こういう事を考察して改めて思うわけです。

芸術でも科学技術でも、
本当に評価されるべき人々というのが、
評価されない、
ただ目立って賑やかな中身の無いものに群がる。

 

今の日本のメディアアートの現状って、
まさに典型的なその表層って感じでwww

さらにその、
日本のメディアアートの、
中身の無いモノに対する人々の熱狂が、
非常にアイロニーで、
それが一番私にとっては、

「芸術的」だと考えています。

 

 

 

 

 

美学者母

 

 

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