No.291

アート投資について
(アート投資の本質はデリバティブであり、
アートは信用商品であるという事)

text : mama(美学者母)
2018年11月2日(金曜日
)執筆

 

私はアート活動をしているわけですが、
美学というものを通して、
「美しいとは何か?」「醜いとは何か?」、

そしてそこから、
「価値とは何か?」というものを、
研究してきているわけです。

 

昨年などは「価値」というものを研究する為に、
「仮想通貨、暗号通貨」というものを、
実際にトレードしたりしていたのですが、
市場のあまりの狂乱ぶりに、
人間の恐ろしさを知った次第です。

実際「仮想通貨、暗号通貨」で儲けた人は、
実は少ないのではないかと思います。

少なくとも私は、
自らの審美眼の力で、
「仮想通貨、暗号通貨」では、
少しだけ儲けさせて頂きました。

この様に「仮想通貨、暗号通貨」を観ても解る様に、
一年前には200万円を超えていたものが、
今では70万円になっているビットコイン。

それだけでも「価値」って一体なんなんだ?

と皆さんも考えてしまう問題だと思います。

 

自分が持っている一万円札は、
本当に一万円の価値があるのだろうか?

自分が持っている土地は、
本当に一千万円の価値があるのだろうか?

そういう根本原理を知る為にも、
「批判精神」というのは、
かなり有効な態度だと考えているわけです。

自分が持っている一万円札は、
本当は一万円の価値が無いのではないか?
自分が持っている土地は、
本当は一千万円の価値が無いのではないか?

そう言った「批判精神」から、
まずあなたの思考を始める事、
これは「価値」を知る上でとても重要な、
エレメントなのです。

この様な思考は、
もちろん私の「美学」「美術」の研究でも、
当たり前に使用している方法ですし、
この社会のありとあらゆるものに、
実践できる「思考方法」だと考えています。

この様に「価値」というものが、
不確実な時代に入り、
私の所にも、
「アート投資」に関して相談をしてくる方が、
数年前からチラチラと現れてきています。

実際に直近でも、
アート投資のコンサルティングを兼ねて、
色々回る予定です。

私は昔から私の美学として、

「美」とは「愛」であり 「愛」とは「人」である https://www.machromatic.net/column_0006.html

 

この様に定義しています。

つまり「美」とは、
「人」そのものであるから、
それ以上の「価値」は存在しないのです。

この世の中で最も尊い価値の一つ、
それは「美」であるわけです。

つまり私がいう「アート投資」とは、
この「本質的な美」に「投資」するわけであり、
「投資」としては最善の投資です。

しかし「アート投資」の難しさは、
その「本質的な美」を持っている作品を、
一般の人は見分けられないという事です。

この様な現象は、
人間が進化すればするほどに、
「本質的な美」に対し、
「盲目的」になっていくので、
少なくともその「本質的価値」は、
上昇していきます。

これが所謂現代アートのカラクリであり、
資本主義でのアート価格の高騰の原理なのです。

なぜ「現代美術」は「高騰」するのか、
それは、
その「本質的な美」が、
誰の目にも観えなくなっていくからなのです。

私はアートはデリバティブであるという、
「デリバティブアート宣言」というものを、
宣言しています。

このアートはデリバティブであるのだという考えは、
アートはなぜ高騰するのかという原理を、
深く理解することにつながります。

それはもうアートは、
アートそのものの価値を、
理解できる人が急速的に少なくなるという、
ある種アートの副次的価値によって、
資本主義の数値上、
指数関数的に価値が爆発しているのです。

原理的に「アートの価値」というものは、
人間が近代的に進歩すればするほど、
資本主義の数値上上昇するしかあり得ないのです。

これが、
「現代アート、現代美術」の、
基本的な資本主義上の価値爆発の原理なのです。

 

これらは資本主義上のアートの価値増大の原理ですが、
「古典」や「近代」「現代」含めて、
アートの価値というか、
様々な価値の原理というものは、
結局のところ「信用」なのです。

 

その時代その時代で、
信用を担保しているエレメントは変化します。

古典だったら「王様」「貴族」、
近代だったら「批評家」「思想家」、
現代だったら「資産家」「投資家」、

その様な「信用」を与える主体は変わるのですが、
結局の原理は一つであり、
それは「本質的な美」に「価値」があるのです。
それが見た目上の価値の定量化として、

身分を与えられたり、
お金になったりという、
「価値の媒介の変化」があるだけなのです。

 

私たちは結局のところ、
「真理としての価値」は、
「美」という「体験」にしかありません。

それが現代では、
定量的な数値としての「資本」、
つまり「価格」として認識できる、
その様な事を深く理解しなければなりません。

私の所にも「アート投資」をしたいという方々が、
多くなってきていますが、
まずこの様な原理や真理を知り、
知性的で文化的なアート投資を進めています。

 

しかし、
私はアートが高騰する事自体には肯定的です。

なぜなら私たちは、
嫌でも資本主義の中で生きているわけであり、
資本主義においての、
「価値の表層」とは、
「資本」に他ならないからです。

すでに私は、
「ポスト資本主義」の「アート」を研究し、
それを「宣言」として発表していますが、
まだ私が生きているうちは、
「資本主義」が「終わる」という事はないでしょう。

私の作品は300年後、500年後に、
評価されれば嬉しく思いますがwww

 

まぁ「アート投資」に興味があって、
この様な私の考えに共感できる方には、
「アート投資コンサルティング」しますので、

 

お気軽にご相談ください!!!

 

 

 

 

 

美学者母

 

 

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