No.287

美術って枠組みで収まってる奴らに告ぐ
(美術という名の避難場所)

text : mama(美学者母)
2018年9月17日(月曜日
)執筆

 

最近思うことですが、
美術っていう一つの小さな世界があって、
そこにいる人たちは、
能動的にそこへ入ったのか、
受動的にそこへ逃げ込んだのか、
という問題を考えると、
美術なんて小さな世界で収まろうという人間は、
受動的にそこへ逃げ込んだ人ばっかりだって事ね。

日本の美術関係の人って、
なんでこんなに外の世界を観ないのか、
私の中で長年の疑問だったんですが、
その真相がようやく観えてきました。

 

アートフェアだ、
トリエンナーレだ、
ビエンナーレだ、
ギャラリーで展覧会だ、
いつまでそんな事ぐるぐるやってんの?

っていつも疑問に感じているわけです。

でもね、
結局美術コミュニティの人間って、
スクールカーストも含めてだけど、
小さい頃から立場が弱い人間が、
避難的に逃げ込んだ人間で、
美術コミュニティはできているわけです。

少なくとも私は、
今でも美術コミュニティの人間では無いし、
自分では外部の人間だと考えています。

その観点からも、
美術コミュニティのコンサバティブさ、
それには本当に嫌気がさすわけです。

私が求めている世界というのは、
もっとダイナミズムな世界なのですが、
そのことが常に私を苛立たせるわけですwww

 

だから社会一般の人たちははっきりと、
そういう美術関係者に言ってやったほうがいいのです。

「美術」って言葉でなんとなく守られる、
その様な社会的合意を使って、
自分たちの既得権益を確保しているだけの、
村社会である美術コミュニティは、
今すぐ壊してしまえってね。

結局美術コミュニティの人間って、
一般社会の人間と渡り合えるだけの、
人間としての能力がないわけです。

そして日本は特に、
社会不適合者の避難場所になっていて、
それらを囲い込むことで、
飯が食える人がいるっていう、
ある意味弱者利権の典型ではないでしょうか。

 

私も20年くらい、
日本のアート界をウォッチしてきて、
誰も言っていないけれど、
実はこれが日本のアートの実態で、
この様な弱者利権の実態が、
日本のアートの腐っている根本ではと、
最近確信に至っているわけです。

そこからの私の反省としても、
やはりアーティスト自身の質を、
もっと上げていかなければならない、
その様な確信と共に、
私たちが運営する、
「狭山美学校」を、
どの様に運営していくのか、
という方向性も、
クリアに観えてきたのです。

この様な外部から観た美術コミュニティの、
「常識」というものを、
確実に壊していこうと考えています。

 

 

 

 

美学者母

 

 

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