No.209

アートとデッサンの無関係さ

text : mama(美学者母)
2017年5月14日(日曜日
)執筆

 

この題目www
結構アート界の中ではタブーで、
特に日本ではデッサン信仰というか、
アートが成立する事と、
デッサンが上手い事がなぜか同義にされている。

この点について、
あまりにも誰も触れない、
これは日本のアートの問題でもあり、
さらに芸大や美大の受験制度にも問題がある。

つまり誰も、
苦労して身につけた技巧を否定したくないから、
誰も言わないのであるが、
僕はそもそも美術教育を受けていない、
いわゆるアウトサイダーでありながら、
芸術や美術をインディペンデントに研究し、
その点については何の利害もないので、
今回ははっきり言わしてもらうwww

そもそもアートにとって、
デッサンとは何だったのかというところから始めよう。
デッサンはそもそも、
三次元のものを二次元に落とし込むという、
次元変換を行う行為であるわけです。
つまりこの次元変換する行為そのものに、
芸術的、美術的構造が含まれます。

すなわち、
写真技術などがなかった時代に、
二次元に三次元を落とし込む技巧として、
デッサンは重要な技巧であったわけです。

しかし写真技術が産まれ、
その技巧そのものの重要性は薄まり、
デッサンが完成したものを、
遡及的に再構築する、
その様な次元変換に、
アートの構造がアップデートされたわけです。

つまりアートの構造として、
デッサンが必要とされた時代は、
写真技術が産まれた時代、
すなわちカメラ・オブスクラ以前であって、
それはかなり昔の話なのです。

しかし日本ではその何世代も前の、
アートの原理を根底に置き、
デッサン=アート、
この様な誤認を招いているわけです。

現代のアート表現及びアートの構造は、
非常に多様であり、
特にデュシャン以降の現代アートにおいては、
もうデッサンという技巧は必要ありません。

それは何故か?
それはデュシャン以降のアートの構造を考えれば自明です。
アートの構造自体が、
情報次元、
つまり概念操作によって成立しているからです。
写真技術が生まれる前は、
三次元から二次元への次元変換が、
アートの主要な方法論だったのが、
今はそうではないし、
デッサン的構造を使うとしても、
コンピューターやロボットなどで十分です。

日本では純粋アートが全く理解されません。
それはアートの原理や構造が、
常にアップデートされていくのだと、
理解していないのです。

アートというものを神格化し、
普遍的にそのアートの構造が存在し、
超越的な価値を持っていると思い込んでいるのです。

ではなぜ現代でも、
昔に書かれた絵画にとんでもない価値があるのか。
それは簡単に言えば歴史的価値です。
もちろん資本ゲーム的な側面は大きいですが、
アートの構造を言えば、
歴史的価値であり、
さらにアップデートするための見本に過ぎません。

では現在のアートに求められる能力とは何か?

それは、 哲学、美学、美術史、IT、プログラミング、経営、経済、
現在のアートに求められる能力は、
非常に幅広く求められています。

僕から言わせると、
芸大や美大でデッサン、
そして絵画や彫刻などの、
伝統的な訓練をしていること自体バカバカしいのです。

現代のアーティストには、
今までアップデートされてきたアートの教養を身につけ、
さらに最先端のアップデートを模索する。
その様な方法論が必要なのです。

ただ単に絵画や彫刻が好きで、
工芸品を作りたいのであれば、
デッサンは必要です。

純粋アートを志す若者たちに伝えたいのは、
現代におけるアートに、
デッサンのような技巧は無関係である。
このことを強く伝えたいし、
その様な事で時間を無駄にしない様にして欲しいのです。

 

美学者母

 

美学者母のスポンサー、サポーターになるにはこちら↓
クラウドファンディングでスポンサー、サポーターになろう↓