| No.0002
						 
							 フランスと日本におけるKAMIKAZEの 
						    意味内容の違いから世界の本質を考える
					text : yamato(哲学者大和) 
					2015年11月28日(土曜日)執筆 
				     
					    
                        
                      『フランスと日本におけるKAMIKAZEの意味内容の違いから世界の本質を考える。』
                          
                          KAMIKAZEという単語がフランス語では自爆テロ犯を意味するということを知りました。
                          
                          フランスの日本大使館は抗議すべきだ、とか歴史的事実を知るべきだといったネガティブな意見も多くあるようです。
                          
                          ですが、そもそもの世界の本質を考えると、言語の記号表現は同じでも記号内容が異なってくることは当然と考えるべきなのです。
                          
                          例えば目の前に置かれた1つのリンゴを誰かと一緒に見ているとします。普通の認識では同じリンゴを見ていると考えるのが自然でしょう。
                          
                          しかし、実際にはまったく異なるリンゴを其々が見ているということが起こっているのです。
                          
                          これは解剖学や生理学的な面からも説明できます。人間の眼は外部情報を光として角膜や水晶体等を経由して上下左右反転した像として網膜に投影します。
                          
                          この倒立像は網膜で電気信号に変換され視神経から脳に送られます。脳で上下左右が反転した倒立像が修正されて、今私たちが見ている世界が視覚されているのです。
                          
                          ここから、私たちの見ている世界は其々の脳で作られたものであることがわかります。
                          
                          言い換えれば、リンゴのような物理世界も我々1人1人の脳で情報化されたもの、つまり情報なのです。
                          
                          其々が其々の脳で情報化しているのですから、1人1人が当然まったく異なる世界を見ていることになります。
                          
                          物理世界よりも抽象度の高い概念世界でも同じことがいえます。
                          
                          概念世界においては情報化するために(認識するために)より複雑な解釈が必要です。
                          
                          KAMIKAZEといった歴史認識の絡む概念では尚更、人々の捉えている情報の違いが露呈するわけです。
                          
                          世界すなわち情報である。これが世界の本質。
                          
                      国の違いではなく、人それぞれが捉えている情報が違うので、人は異なる世界に生きていると言えるでしょう。 
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