No.198

今、あらゆる相対性が崩れ、
量子論的世の中に変貌している。

text : mama(美学者母)
2017年1月28日(土曜日
)執筆

 

価値というものは、
その時代その時代に変化している。
それは科学、学問の発達、
政治体制や経済のしくみ、テクノロジーの発達。
その様な様々な要因で、
様々な価値は変遷していく。

しかし昨今のその様な価値というものの変遷が、
今までとは違う変遷を辿っているように感じた。

それは、 価値というものが、
今まで、
組織やシステム、
環境、アーキテクチャ、
国や、グループ、
その様な大きな枠組みで、
価値創造がなされてきたのであるが、
昨今の世の中を見渡すと、
非常にミクロで、
様々な価値創造が行われている、
その様に強く感じるのです。

私はこの様な考察から、
ある大きな仮説を立てたいと思う。
それは、
量子論、量子力学を人類が発見した為に、
この様なミクロでの価値創造が、
本質的な価値となりうる様になった。

さらにいうと、
古典物理学、相対性理論という、
ある種相対性に原理を求める世界の終焉であり。
相対的価値を打ち破った、
量子力学が原理となる世界が産声を上げた。
これは私の、
量子論美術宣言や、
もしかすると、
美術批評家の松井みどりが言う所の、
マイクロポップにも通づるものである。

現代の世の中を私が分析するに、
今までの相対的価値や相対的存在が、
もうすでに通用しない世の中だと分析するからである。
もっと簡単にいうと「対」という、
モノの見方、認識、理解が無効化されるということ。
具体的な例で示すならば、

「お金」=「価値」
「仕事」=「お金」=「価値」
「人生」=「仕事」=「お金」=「価値」

上記の様な対の世界が無くなるのである。

私たちは、
この様な「対」によって、
意味を見出し、
するべきことを選択し、
価値あることを行動してきたわけである。

しかし、
現代において、
量子論や量子力学が認識されたと同時に、
これは量子論的に解釈しても、
私たちは、
量子的な振る舞いを受け入れなければならない。

言うなれば、
現代の世界には「対」としての、
価値担保は存在しないということである。
それは常々私が言っている事に通ずる。

「根拠無き使命感」である。

つまり根拠が無い、
「対」が無いのである。
私は昔から、
この「根拠の無い欲動」というものに、
大変興味があった。
しかし、
それがどういったものなのかは理解していなかった。

しかし今回この様な仮説を立て、
その「根拠の無い欲動」が、
量子論、量子力学が支配する世界のもの、
その様な仮説を立てるに至ったのです。

「対」とはある意味「因果」であります。
「因果」とは「文脈」でもあります。
その様な世界の終わりを私は実感しています。

今後世界はどの様に進んでいくのかわかりません。
それは実は「因果律の崩壊」の自明なのです。
もしこの世の中が、
「因果」という原理で出来ているのなら、
今後世界はどの様になるか予想がつきます。
この様な締めくくりで、
私の仮説を締めくくらせて頂きます。

 

美学者母