No.185

2017年、大衆権威の時代

text : mama(美学者母)
2017年1月2日(月曜日
)執筆

 

皆様、
あけましておめでとうございます。

私は元旦に住吉大社で、
初詣を済ませてきました。

ということで、
今年一発目の文章でも書こうか、
ということで今年のキーワードとして、
私から皆様に「大衆権威」というものを、
お届けしようかと思います。

まず2016年に、
私どもは、
狭山美学校というものを立ち上げました。
狭山美学校は、
コミュニケーションのプラットホームです。
内容は美学や哲学を学ぶ場所、
またはそれらのサロンとしての役割。
そして昨年注力した民宿的な役割。

幸いなことに民宿事業は、
とても好評を得ており、
様々な国や地域からお客様を迎えることが、
できています。
今年はその、
民宿事業に加えて、
サロンとして、
様々な人々が交わる場、
としての場を、
より強固にしていきたいと考えています。

さらに、
今年は色々と新しい仕事のお話もあり、
さらに幅広い事業を展開していきたいと思います。

ここまでは前置きではありますが、
「大衆権威」という事に繋がってくる話です。
現在、
あらゆるジャンルを超えた、
横断的、立体的な知識、経験、企て、
そのようなものが必要な時代になっています。

例えば芸術の専門家だから芸術ではなく、
芸術、経済、政治、文化、科学、
あらゆるものを横断的、立体的に、
インプット、アウトプットする能力が必要な時代です。

この様な社会的基礎の変革は、
そのジャンルに限られた権威や利権などを、
崩壊させる事になります。

この様な変革から産まれる事象とは具体的に、
どんな変革が産まれるのか、
それは既得権益者、
体制者などの、
エスタブリッシュメントの崩壊です。

その事象を端的に表出したのが、
アメリカ大統領選挙ですが、
これは伝統的に言われる、
ポピュリズムとはかなり性質の違うものです。

それはある意味、
現代の民衆は馬鹿では無く、
非常に合理的で賢明な人々だからです。

僕は芸術を専門としていますが、
芸術のプロパーではありません。
その様な視点から私が観る芸術の専門家は、
非常に視野が狭く、
横断的、立体的な視野を持っていません。

そこから考えるに、
実は専門家以外の人間に、
今後様々な可能性が産まれるという事です。

僕が芸術界で強いのは、
芸術のプロパーでは無いので、
権威も利権もまったく無関係な所です。
それはある種、
インディペンデントであるという事。
私が芸術のプロパーではないから、
芸術という世界で、
縦横無尽に駆け抜け、
好きな事を言っていられるのですね。

すなわち現代の民衆は、
権威や利権と無関係であり、
さらに合理的で賢明な人々です。

それらの人々が、
本当の意味で活躍できる社会になった。
その様に理解できます。

また2016年の言葉として話題になった、
「ポスト真実」ですが、
僕はこの「ポスト真実」を、
ポジティブに受け止めています。
それは民衆が馬鹿では無いからです。
むしろ、
学問的や科学的な合理性を超えた賢明な真実。

それこそが、
「ポスト真実」だと考えるからです。
この「ポスト真実」を、
ポジティブに受け止めようとした時、
人間の姿勢とは、
「真実」はそもそも存在し無いという立脚から、
物語が始まっているのです。

世界の真理とは「真実が無い」事が真理なのです。
今までの真実は、
権威や資本家などのエスタブリッシュメントが、
創造してきたわけですが、
その上でこの「ポスト真実」は、
本当の意味での民主主義であるとともに、
民衆一人一人が権威者である事を、
衝撃的に伝えています。

すなわち、
私たちの様なものが、
コミュニケーションプラットホームを運営する。
その様な事は、
一昔前では考えれなかった事です。

今までの時代は「専門」「資本」「権威」、
その様な時代でした。

しかしこれからは、
「専門」「資本」「権威」が無い、
そして無縁な民衆の時代になります。

それは民衆が、
「専門」「資本」「権威」が無いからこそ、
横断的、立体的に、
縦横無尽に駆け抜ける事ができる存在だからです。

普通の民衆が、
「大衆権威」を獲得した、
革命的時代に突入したのです。

 

 

美学者母