人間とは概念世界に生きているので、
認識する必要がある。
  
  認識とは、
  
  それとそれ以外を判別することで、
  
  そのものを、
それと認識できるのである。
						   しかし世界の本質とは、
						    
						    それが、
						    
						    それで有り、
						    
						    それで無い、
という事が本質なのである。						    
						  私たち人間は、
認識すると同時に、
						    
						    その本質を失うのである。						    
						  それはどんなインテリであろうが、
						    
						    天才、秀才であろうが、
概念世界においては、
誰もが本質を失っている。						    
						  だからこそ、
						    
						    インテリ層がオウム真理教に心酔していったのである。						    
						  つまり概念世界では捉えきれ無い本質を、
私たちは知りたがっているのである。
						   ここで言っているのは精神的本質であるが、
また人間的、生物的本質もまた同じである。
						   生物学的には、
						    
						    人間は動的平衡を保ち生かされている。
つまるところ、
肉体は有ると同時に無いのである。
						    
						    
						    この事は、
細胞の死と、
細胞の生が、
						    
						    常に同時的に起こっている事を示す。
						   ではこの様な本質的な考察から、						    
						  平和や戦争を考えてみる。
						    
						    
						    日本のリベラルと言われている人、
特にインテリ層は、
						    
						    ここで言っている本質を失っている。
						   私たちが平和を意識すると同時に、
						    
						    どこかで戦争が同時に起こるのである。
どうしてそうなるのか?
						    
						    
						    それが概念世界の本質だからだ、
						    
						    平和というエネルギーが強くなるほど、
戦争というエネルギーが強くなる。
お互いを相殺しようとする、
動的平衡の作用である。						    
						  つまるところ、
						    
						    この世の中から、
平和を願う人が居なくなれば、
						    
						    本質的には、
						    戦争は無くなるのである。						    
						  これはある種、
仏教哲学も同様で、
己を意識すれば、
己以外が現れる。						    
						  悟りとは、
						    
						    己と全体、
						    
						    全体と己が、
同時に存在している事で、
						    
						    
						    概念世界では、
						    
						    縁起や空と表現される。
						    
						    
						    また造形的には、
						    
						    曼陀羅として表されている。						    
						  僕が繋がっているインテリ層は、
どうもリベラルである事が、
先端的で本質であると、
						    
						    西洋思想を盲信している。
						   ある意味「カルト」なのである。
自分が頭脳明瞭だと思っている人間ほど、
						   実はバカでアホなのだ。						    
						  それは、
						    
						    この文章の本質に記載している通りである。
						   
						   美学者母