理性的と感情的の相対性であって、
                            
                            例えばクリエイティブで考えると、
                            
                            本質を語るより、
感情を揺さぶる方が、
多くの人を動員できるというロジックです。
						   すなわち宮崎駿は感情的で動員を起こすが、
						    
						    川上量生は理性的で本質や原理を言っているが動員は起こらない。
						   これは、
研究者と創造者の違いでもあるのだが、
						    
						    結果、
						    これはある種の民主主義の限界とも繋がる。						    
						  それはアメリカ大統領がトランプになったのと同じで、
						    
						    感情的なものは動員しやすい、
すなわち多数派を形成するには、
感情で動員するのが簡単だという事です。						    
						  つまり本質的な原理、論理などよりも、
感情が優先されるという事が、
						    
						    ある種の民主主義の終焉を告げているのである。						    
						  この事はあらゆる知識人、
哲学者、美学者、科学者などなど、
						    
						    この人間の振る舞いを理解しなければならない。
						   しかし僕は、
この様な文脈のない感情動員を、
						   量子論的に理解し、
						    
						    ポスト民主主義、
						    
						    ポスト資本主義、
そして、
						    
						    ポスト現代アート、						    
						  そう捉えており。						    
						  「量子論美術宣言」を宣言した。
						   このある種、
						    
						    論理的に矛盾している事こそ、
ある種のカオスであり。						    
						  実はそこに、
論理的、演繹的、本質的なものを超えた、
						   超越的人間世界があると考えています。						    
						  その意味で、
						    
						    宮崎駿の次の作品があるとすれば、
ぜひ観てみたいと思っています。						    
						   
						  美学者母