No.0140

ローカルアートシーンを見て思う事

text : mama(美学者母)
2016年6月29日(水曜日
)執筆

私自身はギャラリーで個展とか、
展覧会を自ら行うという事から離れて、
もう10年以上離れているわけですが。
今回は相棒の哲学者大和が、
アートの活動を始めるという事で、
まぁそれならギャラリーから始めて、
どんなものか体験したらどうか? という事で、
僕も少しだけお手伝いしたのですが。

やはりああいう、 ギャラリー、村社会というか、
内向きの人たちとはどうも合いそうもない。
どうしてああいう人たちは、
皆んな内を向いているのだろう???
と私自身は疑問に思うわけです。
作家、アーティスト、アート関係者、等。
アート関係者だけでコミュニティを作って、
内々で評価しあって、満足している様を見ていると、
なんとも気持ち悪いわけで、 ある意味新興宗教的でもあるわけです。

ああいう環境だと見えるものも見えなくなるでしょう。
私はあくまでオープンソースなアートを目指しています。
盛大に事実や現実は皆さんに公表します。
アートの解りにくい理由や、アートの内部を、
できるだけ分かりやすく言説します。
これからのアートを担っていく世代は、
もっとアート以外の人たちに、
理解されるように努力しなければならないと思います。
そしてこの広い世界で、
様々な価値観や文化、思想、習慣なども包括し、
ある種、カオスなところで先鋭化されるべきなのです。

私はアートの活動をインターネットを中心に行っています。
これはインターネットがオープンソースの場、
誰にでも開かれた場であることから、
この場所が何人も平等に与えられた場だと信じているからです。
小さな凝り固まったコミュニティで、
これが「アート」だ「どうだ!!!」という、
そんな時代は終わったのではないでしょうか。

私はアートを知らない人にアートを知って欲しいのです。
そしてアートをもっと身近に感じて欲しいのです。
多様性こそ創造を生み出します。
差位こそが美しさの根源なのです。
本当にアートの美しさやその価値を享受するべきは、
アートと無関係、アートに無関心、アートが無意味。

そう思い込んでいる人たちなのです。
私の活動はこれまでもこれからも、
アートと無関係、アートに無関心、アートが無意味。

という人たちに命がけでアートを理解してもらえるよう、
最大限努力することです。

今は哲学者大和と美学者母の二人で活動していますが、
少しでも興味を持たれたら、ぜひ声かけて下さい。
そういった世界を一緒に作っていきたいと思ってくれる方、
アートの知識や技巧などまったくいりません。

貴方のその志だけで十分です!!!

 

美学者母