No.0121

徹底した客観性

text : mama(美学者母)
2016年2月10日(
水曜日)執筆

批評家という特定分野の情報のプロが厳しいわけ

https://note.mu/lingualina/n/naaafe36b8006

 

これって先日、会田誠に対して言った「独立性」の話につながる。
つまり日本では「徹底した客観性」を持つ事を軽視している、意味がないのだ。 その上で「徹底した客観性」に価値がなくお金にならない。
だからインディペンデントである事が不可能で、 何かしらの相互依存、
いわば「村社会」によって相互評価し、
お互い褒めちぎり合うという文化なわけだ。
東京五輪のエンブレムでもそうだが、
デザイナーがデザイナーを選ぶという歪な評価制度、権威主義が、
この現代でも一般的である。
芸術の世界も、 例えば画壇では芸術家が同じ村の芸術家を評価して、
同じ既得権益を分かち合うという構図なのだ。
すなわち価値担保が身内なのである。
このような当たり前の事実を広めていかなければ、
本当の意味での多様性、多様な世界は生まれないし。
それは日本全体にとって不利益だと僕は考えている。

美学者母