No.0073

認められないという選択

text : mama(美学者母)
2015年6月7日(
日曜日)執筆

 

人は誰しも認められたいという欲求を最大限持っている。
それは僕も最大限同じで、
人間は原理的に承認されたいという欲求を内在しています。
僕がアート活動をはじめた18年程前に、
僕はアートで認められたいと考えました。
そして認められるのはどうしたらよいのか、
必死に考え学び実践してきました。
僕はアートを学びはじめた当初から、
テクニックが本質ではない事を感覚的に悟っていました。
その上で、 美術史、美術論、美学、哲学、社会学、文化人類学等。
様々な事を横断的に学び検証していきました。
アートとはなんなのか美術とはなんなのか。
ブラックボックス化されたその中味を知るには、
非常に難しい事が多かったのですが。
僕はアートや美術の中味を少しづつ理解する事ができました。
アートや美術の意味、 そこに作られる価値、権威。 クローズド社会の構造。
そもそも僕が、 アート界で認められる事も無いしその必然性も無い。
そして何よりアートで認められる意味そのものが無いと気づく。
そして自分自身が何をするべきか確信したわけです。
「アートをぶっ潰す」。
僕はアートのプロパでも無くただの高卒の人間です。
そんな人間がアートを「ぶっ潰す」方が面白い。
それは、 アートのプロパがそもそもアートを理解していない人間ばかりで、
馬鹿で無知なやつらばかりで、
少なくとも高卒の僕よりアートを理解していない人間が、
大多数だからという現実を知ったからです。
アートの利権に囲われた人間が、
アート界の外の人間よりアートが理解出来ていない現実を、
僕は今後インターネットを通して拡散し続けます。
そもそもアート界をオープンソースにするべきという思想があり、
その思想の実現の為に行う活動です。
糞な利権に囲われた糞なアーティストの皆様、
アートというクローズド社会で発生する利権を僕は崩壊させます。
アートに天才などいません、 それは無知で馬鹿で従順な人間。
アートに権威などありません、それはただの幻想です。
アートに価値などありません、それはただのカタチです。
さぁはじめましょうか(笑)