No.0056

近代的イスラム教への道

text : mama(美学者母)
2015年4月10日(
金曜日)執筆

 

宗教問題は対岸の火事ではないはず

そもそも「宗教」の問題の根源的「原理」を説明すると、
「宗教」単独で危ないものは無いと言っていいのだ。
「宗教」がなにと化学反応するかという所が、
実のところ問題の根本的原理なのである。
例えば「キリスト教」や「仏教」というのは、
非常に「文化」との結びつきが強く、
強いて言えば「文化」と共に発展してきた節がある。
しかし「イスラム教」はどうだろうか、
もちろん「文化」的側面もあるのだがそれ以上に、
「政治」との結びつきが非常に強い。
強いというよりも「イスラム教」諸国は「イスラム教」自体が憲法であり、
法律となっているのだ。
その上で「イスラム教」諸国には、
「イスラム法学者」なるイスラム法の専門家がいるのである
。この「イスラム法学者」はあらゆる事象を、
「イスラム教」から観て「悪」なのか「善」なのかを判断する、
しかしそれは定量的なものでは決して無く、
法学者によって見解が変わる事はよくあるのだ。
即ち「イスラム教」=「政治」、
もっと言えば「イスラム教」=「司法」=「立法」=「行政」、
と言っても過言では無い。その上で「一神教」でありながら、
「宗派」は多数存在している。
ここまで観ても解る通り、
「イスラム教」は私たちが想像する様な「宗教」では無い。
それは根源的「原理」において「三権」も司るという事が特徴的であり、
逆説的に「三権」を司る所にその大きな問題が存在するのである。
昨今の「IS」イスラム過激派などが生まれる根本的原理は、
この所に起因するのである。
では今後イスラム教の信者が増大する世界で、
どうしていかなければならないのだろうか、
それはやはり「宗教」と「三権」との分離が絶対的に必要なのである。
しかし「イスラム教」の性質上非常にそれは難しいのだが、
「イスラム教」が抱える様々な問題は解決しない。
世界的にイスラム教徒の割合が増加するのであれば、
そのイスラム教徒自身が平和にならない限り世界の平和は訪れないのだから