No.219

ままごと、
ごっこ遊びが世界を創っている
(ごっこ論)

text : mama(美学者母)
2017年9月27日(水曜日
)執筆

 

私は2013年に「ごっこ論」というものを発表しまして、
その頃から「ごっこ」、
の大切さというものを訴えてきております。

誰しも子供の頃に「何々ごっこ」、
などしていた記憶があるのではないでしょうか。

ある時私はふと不思議な体験をしたのです、
それは世の中のすべての人が、
「ごっこ」の延長線上を生きている、
ある意味、
演じているように確かに観えたのです。

警察官、医師、運転士、営業マン、店員、そして芸術家。

そして私たちの意味や概念、
肩書きや役職、
名前やニックネーム、
それは確かに「有る」と確信しながらも、
「無い」とも言える。

その様に世界が私には観えたのです。

私は大学も行っていませんし、
芸術の専門教育も受けていません、
そんな中で18歳から芸術活動をしていると、
色々と揶揄されてきたわけです。

身近な友人にさえ、
「お前のやっている事はままごとだwww」
と言われておりました。

しかし自分自身強い信念をその頃から持っており、
自分の芸術を疑う事はありませんでした。

この「ごっこ論」が思い浮かんだ時、
その時友人に言われた事も思い出しながら、
「なるほどそういう事か」と確信したわけです。

昔、具体美術の代表的な作家の嶋本昭三が、
美大受験も失敗した弟子の作家の、
「どうしたら芸術家になれますか?」 という問いに、
私は芸術家だと名乗ればそれで芸術家だ、
その様に答えたエピソードを聞きましたが、
私もそれはまさにその通りであると考えています。

この様な事から色々観えてくるものがありますが、

もう少し詳しく、
社会学的なアプローチも含めて考察いたします。

まず社会とはどう成立していくのか、
その様な理解が必要です。

まず小さな頃していた「ごっこ」は、
一般的に社会とは言わないわけですが、
それはなぜでしょうか、
逆説的に社会とはどの様な要素が必要で、
社会的概念、意味、肩書きは、
どの様に創造されていくのでしょうか。

それを紐解くには、
私の「芸術家ごっこ」を紐解くと理解しやすいでしょう。

なぜなら私は壮大な「芸術家ごっこ」を、
私の代表的な作品とし、
自ら「ごっこ論」を実践しているからです。

まず私が芸術家であると認識させるには、
芸術家っぽい事をするのが一番です。
絵画を描いたり、立体造形を作ったり、
その様な活動を続ける事で、
複数人が私が芸術家であると認識し始めます。

この段階ではまだ、
社会的に認められたとは言い難いでしょう。
小さなコミュニティの中の内々の合意であるに過ぎません。

しかし実はこの小さなコミュニティの合意形成こそ、
非常に重要になってきます。
これは子供の「ごっこ遊び」も、
この小さなコミュニティの合意形成であり、
まったく同じ原理に基づくからです。

さらに小さなコミュニティと、
まったく違う小さなコミュニティの間で、
さらに合意形成が行われ、
その合意は、
中規模の合意へと発展していきます。

それは昔で言えば村や町など、
地域の特色ともなり得る合意であります。
そしてその様な、
様々なコミュニティが、
フラクタルに合意形成を発展させ、
都市や国家レベルの社会形成が生じるわけです。

それが現在マクロ社会になり、
グローバルな合意形成を行おうと、
グローバリズムを推し進めているわけですが、
それがそれぞれの社会間の軋轢を生み出し、
世界的に様々な衝突が発生しているわけです。

昨今その様なグローバリズムを超えた考え、
その様な考え方も生まれ、
私もその様な考え方を持っています。

それは、
世界で一つのグローバルスタンダードを、
共有し、合意する必要が無いという考えです。

これはある種の違いを許すという思想です。

この様な思想で必要な哲学が「愛」であり、
私はその「愛」を芸術活動の原理においています。

「違っていいのだ」
「笑って許そう」

そんな合言葉ですwww

つまり違いをアイロニーに許しあうという思想です。
この事については、
色々と他の私の文章でも触れています。

 

ここまで社会はどう創造され、
そして今世界の同意形成の問題点、
そのブレイクスルーの方法を提示しました。

この様な事からなにが言えるか、
まさにここに書いている通りですが、
マクロ社会とミクロ社会は、
ある意味フラクタルに存在しています。
と同時に存在してい無いのです。

それは「社会的合意」そのものが、
確認しようの無いものなのです。
それは他者の理解が不可能であるのと同義です。

つまり、
私たちは自分自身の思い込みにより、
同意しているとみなしているに過ぎません。

つまり社会とは、
私たちの思い込みそのものである、
その様に私は自分自身で気づいてしまったわけです。

つまり、
「私は芸術家である」という思い込みが、
社会そのもので「芸術家」を形成するという事ですが、
なかなか皆さんには理解しがたい現実だと思います。

しかし世界の構造はそうなっているのです。
この様な考えは科学、脳科学、認知科学などでも、
言われている事ではあります。

私は今色々なごっこを楽しんでいます。
「芸術家ごっこ」「民宿ごっこ」「美学ごっこ」。

僕たちの世界は「大きな砂場」で、
壮大な「ごっこ遊び」をしているに過ぎません。

皆様も自分の好きな「ごっこ遊び」を楽しんで、

より良い人生を歩んでください!!!

 

https://machromatic.net/i-goco.html

 

 

美学者母

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