No.182

ITA(インフォメーションテクノロジーアート)
の概要

text : mama(美学者母)
2016年12月23日(金曜日
)執筆

 

先日の言説で、
私が行っている、
ウェブアート宣言から産まれた、
ウェブインスタレーションなどを、
ITA(インフォーメーションテクノロジーアート)として、
定義し、
そこに落とし込むことができる旨を記述したので、
今回はその美術的構造につてい言説していければと思います。

まず私のウェブアート宣言は2010年に宣言したもので、
もう2016年も終わりですので、
今から考えますと約6年前に宣言しました。

私がこのウェブアート宣言をなぜ宣言したのか、
というのは非常に複雑な問題ではあるのですが、
端的に申しますと、
インターネット黎明期からのその情報の真偽性です。

私がインターネットを始めたのは、
高校を卒業した1997年頃だと記憶しています。
それこそインターネットの黎明期で、
ヤフージャパンなども立ち上がって間もない、
そんな頃です。

その頃のインターネットの状況と言いますと、
世間的にもまだまだインターネットは普及しておらず。
インターネットに書かれていることなど、
リアルではなくバーチャルで、
疑いもなくそれは虚偽である。
そういう認識が一般的でした。

しかし私はインターネット黎明期から、
その一般的な認識に疑問を感じていました。
それは一般的にリアルと言われる空間も、
インターネットに代表され、
一般的にバーチャルという空間も、
真偽性についてそこに差異は無いのだ。
そのように直感的に感じたわけです。

それはもっと端的に申しますと、
物理空間と情報空間の差異と言い換えることが可能です。
そんな考えを表層化したものが、
2010年に宣言したウェブアート宣言であり、
その造形的表現としてウェブインスタレーション、
それを社会に提示しました。

そして現在2016年になり、
様々な分野でこの、
情報空間と物理空間の真偽性というものが、
問題になり表面化してきています。

つまり、
私が問題定義したものが、
一般社会でどんどんと現実的に、
表面化してきたわけです。
そして現在に渡るそれらの現象を、
「ポスト真実」(post-truth)として、
オックスフォード英語辞書が、
世界の今年の言葉として選びました。

少し自分でも怖い話ですが、
僕の考えているように世界は動いています。
その上で6年前に、
「ウェブアート宣言」をしたのです。

ではその上で、
私が掌握する世界、
そして、
このウェブインスタレーションや、
ITA(インフォメーションテクノロジーアート)、
に含まれているアイロニーやロジックを、
少しだけ簡単に解説したいと思います。

そして、
最後に私なりの今を生きる提言もさせていただきます。

まず「ウェブアート宣言」は、
物理空間と情報空間のバインディングを提示しています。
つまりそこには差異が無いという事です。
しかし一般的に我々は、
情報空間、
例えばインターネットには、
ディスプレイを介して干渉し、
そのディスプレイの表裏において、
物理空間との差異を確認しています。

しかし昨今この差異が非常に縮小化し、
インターネット黎明期以後、
その差異が確実に減少しています。
その上で昨今問題になっている、
インターネット情報の真偽性の問題として、
表面化してきています。
ここは大きな一つのポイントで、
「ウェブアート宣言」の大きな意図です。

次にウェブインスタレーションという、
造形的表層化の解説です。
私はウェブインスタレーションとして、
インターネットのWEBやSNSで文章を綴っています。

なぜ造形的表層なのに、
文章なのか?
という疑問が皆様から寄せられるわけですが。
ここにも複雑な構造が存在しています。
この言説や文章を造形としようと、
私が思い立ったきっかけは、
「言文不一致」というものです。
すなわち言い言葉と書き言葉が違う、
それは日本語そのものが持っている特性でもあり、
またもともと日本語が「言文不一致」だったわけです。

そんなところから、
言説や文章を造形として扱うアイデアを思いつきました。
そして、
さらにインターネットで、
その造形としての言説や文章を扱うと、
さらに芸術的な作用が産まれる事を発見したのです。
それがウェブインスタレーションとしての造形です。
なぜ言説や文章をWEBやSNSに綴る事が、
ウェブインスタレーションなのか?

そこについてもう少し解説しますと、
インターネットが無かった時代の、
言説や文章を思い出して頂くと、
理解が容易になると思います。
簡単にいうと、
パブリッシング、
すなわち、
それまでは言説や文章を、
他人に見せるには、
出版という手法が一般的でした。

簡単に言えば本や雑誌ですね。
そしてそこには物理的なアーキテクチャ、
すなわち本という形、
雑誌という形、
そういう形が伴い、
その形を創り、
多くの人に観てもらう為に、
物理的な本屋や店舗に並んでいたわけです。

その出版というプロセスには、
大きなコストや、
多大なる信用、
それらが必要で。
必然と出版というプロセスを経た、
そういった本や雑誌は、
アプリオリに、
一般の人々は信用していたわけです。

私たちは本という体裁、
雑誌という体裁、
そういう体裁自体に信用を持ち、
それ以上の思考はエポケーされていたんです。

すなわち、
本や雑誌という信用のあるアーキテクチャの、
一つ一つの言葉や意味を、
疑うことが無かったわけです。

ここで二つ目の大きなポイントで、
本や雑誌の時代は、
言葉の意味や、
言葉それ自体には信用があった。
すなわち言葉がアイコン化されていた時代です。

そして現在、
インターネット時代に突入し、
インターネットも黎明期を過ぎ、
少しづつ成熟しつつあります。
そのインターネットは、
出版というプロセスを経ずに、
言説や文章をダイレクトに、
一般の人々へ届く。
そのような状況になっています。

ここで、
インターネット時代の言説や文章の変容が確認できます。
それまでの本や雑誌という造形的体裁がなくなったのです。
私はこれは非常に大きな革命だと考えています。
インターネット以前は、
その本や雑誌の体裁がある意味、
信用の担保や価値担保になっていたのですが、
その造形的担保が一気になくなったわけです。
そして現在は、
文章や言説自体が造形的担保になっている、
それが私の考えです。
すなわち、
文章や言説自体のアイコン化の時代なのですね。
それが顕著に表れているのが、
グーグル検索での上位検索などです。
これは明らかに、
文章や言説を造形的に捉えている根拠となります。

すなわちインターネット空間、
情報空間でのパブリッシングが、
さらに上位概念化され、
非常に抽象度が上がったのです。
これは当然の事でして、
物理空間の本や雑誌、
という所から、
情報空間の言説や文章に、
造形的担保が変わったのですから当然です。

ここで大きな三つ目のポイントで、
インターネットの時代は、
文章や言説そのものに造形的価値や信用が産まれ、
文章や言説そのものがアイコン化される時代です。

すなわち、
インターネットという情報空間で、
文章や言説という造形、
それらを配置している。
または展示している。
それが、
ウェブインスタレーションなのです。

ここまで、
大きな三つのポイントを言説しました。

この、

2016年12月23日(金曜日)

私の提言として、
ITA(インフォメーションテクノロジーアート)時代、
ITA時代の到来であると提言したいのです。
まず物理空間と情報空間という分離は終焉を迎えます。

なぜならば、
物理空間も情報空間であるという原理だからです。
そして言説や文章は、
非常に平坦化されます。
これは今までの既得権益の崩壊でもあります。
言説の平坦化です。
すなわちあらゆるものがフラットに扱われます。

それは上下の権威と民衆や、
左右の真実や、虚偽。
それらがすべてバインディングされていきます。

そして、
すべての人々が真実を知る事になるでしょう。
真実とはその人が真実だと思えば真実です。
また真実と思う人が、
沢山集まれば、
さらにその真実は強固なものとなります。

これは壮大な革命です。
これまでは一部の知識人や権力者が、
真実を創ってきたわけですが、
これからは、
真実を我々一人一人が創っていく時代です。

最後に、
「真実」とは創られるものなのですね。
それを多くの民衆が気づき始めている。

それが今まで世界を掌握してきた、
エスタブリッシュメントの没落であり、

「ポスト真実」時代なのではないでしょうか。

 

それではこれから、
ITA(インフォメーションテクノロジーアート)、
ぜひ期待してくださいね!!!

 

 

美学者母