No.0118

アートとは内部体験だという根本

text : mama(美学者母)
2016年2月3日(
水曜日)執筆

 

どうも〜どうも〜!!!
アートを愛して37年の美学者母です。
最近のアートと呼ばれる作品、 とくにメディアアートなんかの領域では。
現実と非現実をクロスオーバーさせた、
バーチャルリアリティーだったり、
また違った切り口の拡張現実を作品にしていたりします。
そこでメディアアート全般と、 アートの境目が一般的に混同されている。
そのように最近強く思うのですね。
根本的にアートというのは内部体験に依存している、
そのような基本の理解が必要なのです。
最近僕はチームラボの作品をアトラクションと呼びました、
それはこの根本原理から捉えて、
チームラボの作品はアトラクションと定義しています。
それはチームラボが作るものが、 外部体験に依存している作品だからです。
それに対していつも相対化させていただいている、
真鍋大度さんの作品は内部体験に依存しているのですね。
そのような根本原理の上で、
チームラボの作品は勘違い野郎だと言うし、
真鍋大度さんの作品は素晴らしいと言うわけです。
一見この違いは大したことが無いように思うのですが。
この内部体験と外部体験は、
言って見れば「次元」が違うものを作り出しているのですね。
外部体験というのは言って見れば、
ユニバーサルスタジオやディズニーランドのアトラクションと同じです。
内部体験というのは言って見れば、
マルセルデュシャンやアンディウォホールと同じです。
まずこの次元の違いがわからない人には、 説明が複雑化してしまうのですが。 簡単に言えばそういうことです。
なので最近のアートというのを見ていると、
短絡的に外部体験に依存した作品を多く見ます。
それはジェットコースターのようなものです。
非常に簡単で解りやすくてなんとなく楽しいわけです、
最近は現代アートのイベントのような事が全国的に行われ、
その様な短絡的な作品が増産されているわけですが、
そのような動きの中に、 チームラボがいるという事を理解するべきです。
短絡的なものは人を馬鹿にします。
ある意味ドラッグのようなものと同じです。
非常に快楽的で依存度が高いのです。

つい先日、 元プロ野球選手の清原さんが覚せい剤で逮捕されました。
一度短絡的な快感にはまってしまうと、
なかなか人間は抜け出せないのですね。
それはアートでも同じ事なのです。

美学者母