No.0108

「ウェブアート宣言」から考えるハイパーリンク

text : mama(美学者母)
2015年9月23日(
水曜日)執筆

 

「ウェブアート宣言」
http://aesthetics.jp/?p=106

「ウェブアート宣言」から5年が経った、
ウェブアート宣言ではウェブインスタレーションを定義し、
未来の造形のあり方を世の中に提示した。
世の中は遥かに早いスピードで変化し、
あらゆるものの捉え方や考え方が同時に変化している。
少し前に現代の若年層のリンクの考え方、
それが完全に変わっているという記事を読んだ。
簡単に言うと、 そもそもSNS上でリンクを貼らないという事だ。
ではどうしているのかというと、 「キャプチャー」をしている、
すなわち「キャプチャー」の画像を添付しているのだ。
この「キャプチャー」の手法は、
スマートフォンの普及が後押しをしたのは間違いない。
それはスマートフォンでは簡単に、
スクリーンショットなどでキャプチャーできるからだ。
もうそこにはハイパーリンクという考え方は無い。
つまりハイパーリンクが無くなるということは、
「ウェブ」そのものの意味も変わってくる。
それはキャプチャーのみならず、 FacebookやTwitterなどのSNSでも、
「ウェブ」の意味が変わり、 ハイパーリンクの意味も無くなっている。
具体的にハイパーリンクは、Streamに変わっている。
これは私たちが今ネットでよく見る、
タイムラインであったりニュースフィードだ。
私たちはリンクを経ずに、 WEBの情報が流れてくる状況に現在到達している。 この状況は5年前にウェブインスタレーションを発表した、
その当時とはかなり状況が変わってきている。
しかし、現在のStream時代の中で、
「ウェブ」という存在がより原理化し古典化している。
ウェブというものがより大きなアーキテクチャとして、
ある一定のウェブに集約されてきている。 その事を考えると、
僕が提唱した「ウェブアート宣言」は、
より意味が強化されてくるのではあるのだが。
私のウェブアート宣言やウェブインスタレーションの、
意味は強度化され「アート」としてより意味を持つ。
それとは逆にインターネット全体、
もっというと社会全体を考える時に、
現在の状況ははたして健全なのかどうかは疑問だ。
昔の「ウェブ時代」は、 インターネットという広大な場所から、
自らが情報というものを能動的に探す必要があった。
しかし、 現代の「ストリーム時代」は、
一つのウェブ上で情報が自然と流れてくる、
情報というものを受動的に受け取る時代になったのである。
よりインターネットが高度化したと考える事ができる、
これは一般的な社会と同じ現象であり、
人間の進化や社会の進化を考えると当然であるのだが。
アートが人間や社会のアイロニーであると考えれば、
本質や原理の表層性として、 「ウェブアート宣言」は捉える事ができる。
今後「ウェブアート宣言」は、 インターネット社会が成熟するにつれ、
益々「アート」としての意味は強化され、 その重要性は増すと考えています。 現在発表から5年が経った「ウェブアート宣言」。
今後も逐次、 社会とウェブアート宣言の相関的な理論の解説を通して、
一人でも多くの方にこの「ウェブアート宣言」の理解を進め、
さらに世界の人々に広めていきたいと思います。

美学者母