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No.0006

「美」とは「愛」であり 「愛」とは「人」である

text : mama(美学者母)

 

「美」とは「愛」であり「愛」とは「人」である。
これは私が美学者として導きだした、
美学の方程式である。
この式を「母美学方程式」、
と名付ける事にした。
私は美学者であるので、
「美」というものを研究しているのである。
よってこの式は「美」とは何か?
というものを、
最大限容易に、
最大限端的に、
そして形式的に表したものである。
ではここから、
この方程式の諸要素を具体的に説明していき、
この方程式が導きだす、
「解」について解説したいと思う。

(「美」について )

まず「美」とは何か?
という事について述べていく、
例えば一般的な社会で、
美しいと言われているものには、
どんなものがあるだろうか?
美しい景色、
美しい花、
美しい女性 、
美しい意匠等々。
私たちは「美しい」というものを、
多数思いおこすことができる、
しかし、
今述べた数々の「美しい」という中に、
大きな抜けがあるのにお気づきだろうか?
先述した、
「美しい」とは物理的要素のものばかりで、
私たちは、
物理的要素以外の美しさというものが、
抜け落ちているのである。
それは例えば、
美しい行ない、
美しい汗等々である。
原初的に考えれば私たちは、
人の行ないや、
人の考え方などの、
目にみえないもを美しいと感じる事、
それが「美」の本質なのである。
すなわち、
「美」とは「美しいと感じる事」であって、
「物自体」に「美」の本質は無いのである。


(「美」と「愛」について )

「美」については先にも述べた通りで、
「美」とは「美しいと感じる事」であって、
「物自体」に「美」の本質は無い。
すなわち私たちが「美しい」と感じるのは、
「物自体」の形態では無いと言う事であり、
「美しい」というものは、
私たちの心が個々に「美を感じている」事である。
すなわち、
「物自体」の絶対美というものは、
存在しないのである。
では、
「美」が個人の心にあるとし、
「物自体」の形態に「美」がないとすれば、
私たちは「美しい」と感じる対象を、
どう判断しているのであろうか?
それは刹那論から導きだせる。
私たちは刹那的なものに、
「美」を見出すのである。
刹那的とは、
過去や未来に依存しないものである。
私たちの感情で唯一刹那的に感じる感情は「愛」である。
過去の記憶や未来の想像に依存しない唯一の感情。
それは「愛」である。
ゆえに、
私たちが「美」「美しい」と感じる時、
絶対的にそこには「愛」があると言える。
逆説的に言えば、
「愛」がなければ、
私たちは「美」すなわち、
「美しい」とは感じないのである。
ここからわかる事は、
けっして「美しい」が先にあるのでは無い、
という事である。
よく恋愛で一目惚れというものがあるが、
それは、
女性の形態すなわち容姿を好んでいるのではない。
まずそこに「愛」という感情が先に生まれ、
その容姿が「美しい」と感じるのである。
間違ってはいけないのは、
「愛」が先にありその後に、
「美しい」という感情が生まれるという事だ。

(「愛」と「人」について)

先述したように、
「美」と「愛」の関係性については、
ご理解頂けたと思う。
では次に「愛」と「人」について述べていく。
「愛」という感情、
すなわち過去の記憶や、
未来の想像に依存しない感情、
すなわち刹那的感情、
それを持っているのは「人」以外ない。
多くの人が「愛」というと「恋愛」、
すなわち「異性愛」の事だけを想像するが。
「愛」とは異性以外にも、
同性、動物、物、事など色んな物事に、
「愛」は存在する。
「愛」を感じる事ができる、
唯一の存在が人間なのである。
この一文を逆説的に説明すると、
美学者母の「絶対美」がみえてくる。
その方程式が、

「美」とは「愛」であり 「愛」とは「人」である 。

すなわち「人」という存在が一番美しい。
昨今、
「人」以外のものを過大評価しすぎている社会である。
美学者として一言、
貴方の存在は「ピカソ」や「ゴッホ」の作品よりも、
絶対的に価値を有している。
そして絶対的に「美しい」。


2012年9月16日 美学者母 

 

           

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